自制2004.11.4

 このコラムを書くにあたって、いくつかの決めごとを自分に課した。
 ひとつは「悪口」を書かないこと。
 もちろん、個人的には批判したい人物や団体はある。しかし、いくら署名記事とはいえネット上で人を裁くことが良いことだとは思えない。それに、僕自身の考えとして、正義を人に押しつけるのが好みではないということもある。
 インターネットの特性として、誰もが簡単に評論家になれるのだが、それが、この愛すべき趣味である「釣り」を良くしていくための有効な手段だとはとても思えない。
 もうひとつは、自分が実際に見たり経験したりして感じたことを書くこと。
 既にある文献を引用するのは簡単だけど、それじゃあ、書くために書くことになってしまう。そうやって、頻繁に更新したところで何の意味もないし、自分自身のためにもならない。まあ、ものを創る人間としての意地みたいなものもある(苦笑)。
 そして、当たり前のことだけど、発言には責任を持つということだ。
 いいかげんなうわさ話や、都市伝説のたぐいは、その場を盛り上げることはできても、それ以上のものではない。むしろ弊害が多いことは、僕らの身の回りを見ても明らかだ。
 友人の精神科医は、けっこうマメに、ネット上の様々な掲示板を見ているそうだ。そこには、医者にも話さないような本音や、妄想が渦巻いており、彼にいわせれば革命的な研究材料の宝庫なのだそうだが、医者を喜ばせてみたところで何にもならない(笑)。

 僕は、仲間内で、「バス釣りは師匠なき釣り」とよく口にする。昔は、どんな趣味でも、ひとりで始められるものなどなく、技術の習得と同時に、心得だのマナーだのを身につける、社会人としての学校の機能を果たしていた。結果、家元制度みたいな堅苦しい上下関係ができたりもして、反動から気軽に楽しめるレジャーみたいなものがもてはやされた。マスメディアが安価な情報が、それを後押ししたことも否定できない。そして、僕らは、いま、その弊害に苦しんでいる。
 一番大切なのは、人と人との関係をしっかりと作り上げることではないだろうか? そして、時代に流されて、僕らはそれを忘れていたのではないだろうか?
 社会人なんだから当たり前のことだと言ってしまえばそれまでだけど、自分の胸に手を当てて考えてみると、その、あまりの未熟さに顔が赤くなることが多い。
 だからこそ、このコラムは、自分への反省も含めて、微力を承知しつつ、釣りの未来を真剣に考えている人たちのリンク作りに役立てばと願って書いているのである。

 と、いささか疲れ気味なので、初心に戻って気合いを入れ直すことにした。


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