愛犬のこと2004.10.19

 18才になる我が家の犬が、そろそろいけない。一週間ほど前から、ほとんど餌を食べられなくなってきたからだ。犬の平均寿命からすれば、ずいぶん長生きのほうだけど、飼い主としてはそう単純に割り切れないものがある。
 一昨年あたりから衰えが顕著になり、夏が越せるのか、あるいは寒さを乗り越えられるのかと心配しながら過ごしてきたのだ。いろいろな思い出をともにしてきたものが、ある日を境にいなくなってしまうのはさみしい。
 しかし、命あるものにとって死は必然。この年になれば、その現実を冷静に受け止められる部分もある。
 思えば、子供の頃から、いろんな命と死に接してきた。蟻を踏みつぶし、ヒヨコを握り潰し、蛙の尻にストローを差し込みパンクさせ、捕ってきたザリガニを水槽で飼って水を入れ替えず死なせ、金魚や小鮒も同じく、文鳥の雛は育て方が悪くて死んだ。
 逆に、クサガメは小学4年生のときから飼い始め高校2年のとき誰かに盗まれるまで、冬の間は穴を掘って冬眠させながら飼い続けた。
 そうやって、命のことを漠然と学んできたのは、まあ、平均的な育ち方だと思う。
 命あるものを弄んで死なせてしまったり、あるいは生活をともにすることで愛情を感じたり、そうやって、僕らは生命というものを知っていくのではないだろうか。日常で、命を喰らって生きていると実感しにくいこの世の中で、それは大切なことだとも思う。
 でも、ただ、ひとつ、やってはいけないと思うのは、右耳と左耳の間にある形のないものを理由に命を奪うこと。桃太郎の章でも書いたことだけど、正義の名の下に奪われた命について真剣に考えなければ、僕らは漫然と歴史を繰り返している阿呆に過ぎない。
 この雨の中、ボロ布のようになって、最後の灯火を燃やす老犬の頭を撫でながら、つい、生意気なことを考えてしまった。


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