夏休み2004.8.30

 もう、夏休みも終わり。
 いろんな事情があり、あまり、子供を遊びに連れて行ってやれなかった。
 ゴメン。
 それでも、時間を見つけて、近所の池に散歩へ。親子連れで釣りを楽しむ姿を見るのはいいものだ。釣りが絶好のコミュニケーションの手段になっている。
 糸の結び方から、ウキ下の調整までを教えているお父さんを見つめる子供の目がキラキラと輝いている。子供と一緒になって、上手い人の釣りを観察しているお父さんもいる。
 釣れるのはテナガエビとかモツゴ(クチボソ)なんかの小物。仕掛けが繊細な分、腕の差がはっきり出て、見ていて飽きないが、大の大人が夢中になって子供と同じことに興じている姿を見ている方が楽しい。
 というのも、引退して時間をもてあましているらしい、いわば常連の一群がいて、この人達の道具や仕掛けは凝ったものが多いし、それなりに上手いのだが、その態度がちょっと鼻につくからなのだ。
 実を言うと、この場所は釣り禁止。
「そんな場所に、子供を連れて行って釣りをするなど、親の資質が問われる」という立場を僕はとらないが、そんな場所で、我がもの顔をして釣りをしている中高年には、少なからず抵抗を覚える。
 小さな池の、小さな風景だけど「本質は末端に現れる」の言葉通り、釣りの世界の人間模様がかいま見られるのだ。いや、釣りという遊びが、その人の人間性を如実に示してしまうのだ。
 まあ、偉そうなことを言える立場じゃないけど、釣りってコワイ趣味だ。
 少なくとも、子供にとってカッコイイお父さんになりたい、と僕は思う。電車結びをきれいに結べるお父さんも、分からないことを謙虚に人に聞くお父さんも、等しくカッコイイのだ。感動を共有することが大事なのだ。
「じゃあ、僕は、どんな父親になれるのだろう?」
 そんなことを考えながら帰途についたのだった。
 


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